教えることを我慢する――初任研現場からの報告(その4)

初任研中学校現場から (その4)

 「教えることをがまんする」視点を初任者が得ることで、大きな授業改善の足掛かりとなった。それは同時に、初任研指導担当にも跳ね返ってきた。

 昨年担当した、ある初任者は、2回目の研修で、指導担当の示範授業を参観した後、次のような振り返りをした。

「生徒(たち)が課題の手順についての説明を読み、自分たちで教え合って手順が確認できていた。」

「初任者の授業に比べ、指示が少ない。初任者は指示を出し過ぎていた。」

「協力し合う人間関係が見えた。ノートに書こうとしない生徒がいたが、周りの生徒が働きかけることで、その子の作業(学習)が進んだ。」

 

 この後、「気になる生徒への働きかけ方は、とくに周囲を育てる働き替えにすると、集団も個人も育つ。」とか、「指示は、16字で収まるようにする」とか、「課題の確認の際には、ペア学習を(指導担当は)多用していた。」とか、いくつかの指導技術を提示すると、そのあとの授業実践では、指導技術を適用したり、応用したりした実践を行う。

 この前提として、「私の琴線に触れた先生」や「生徒たちの20年後」といったグループワークや、グループワーク的なものをしていることがあると思う。そして、『教師教育学』に示された「省察のための質問」を初任者に繰り返すのである。

 これは、まさに「教えることをがまんする」ことを、初任研指導担当にも課す。(授業技術の進化に関する仮説や理論を指導担当が知っていても、それを事前に示したのでは効果は薄い。)

 20年以上前に、初任研の教科指導を担当したときに、授業技術を徹底的に始動したことがある。授業実践や授業者の思い、気づきに触れる前に、徹底して授業技術を示すのである。「××のときは〇〇する。」とか、「△△という生徒の反応には◇◇で応える。」「Aさせたいなら、Bと言え。」とか、「この場面では、この発問が有効」……。

 そして、初任者の中には、言われたとおりにやってみるのだが、なかなかできない人もいた。指導担当は、それでは、次の方策、別の方策を伝授する。しかし、やはりなかなかうまくいかない。しかも、教室の中の気になる生徒への対応となるとさらに、ひどい状況になった。

 結局、指導担当が実践してきた技術だけでなく、ノウハウ本から様々な対応を紹介したりもした。しかし、初任者の「やれない」は増えていった。

 今、振り返ると、指導技術を何を目的に使うのか、教師と生徒の縦の関係を強化するために使うのか、教師と生徒、生徒と生徒のつながりを強めるために使うのかの、授業技術の根底あるものを問うことがなかったからだと思っている。

 この時の経験が、初任者を指導するときの大きな「戒め」になっていると思う。単に、技術的な対応を示すだけでは、「できない」という思いを強くすることになりかねないのだ。

 さて、「省察のための質問」を繰り返すことで、初任者の気づきにより、初任者にとって有効な指導技術が選び取られたり、自分なりの工夫を加えて技術を応用・開発することが行われる。

 この時に、グループワークと省察のための質問は、指導担当の「教えることをがまんする」ことにつながる。

 このエクササイズの後の示範授業や、初任者の授業実践は、初任者自身の実践の深まりにつながる。