気になる生徒――初任研現場からの報告(その3)

初任者研修現場からの報告(中学校国語)3回目です。

 今回は、「気になる生徒」。

 昨年は、3校を担当したが、すべて6月1日からだった。一つには、指導教員の人材不足。どの学校も、国語教師は学校に一人という小規模校。(今年は、2校だが、複数の教員がいるものの経験年数が5年未満で、学校で初任研の指導は大変ということだった。)もう一つは、私が5月いっぱいまで、病休代替えの講師をしなければならなかったため。それぞれの学校で、6月1日まで待っていたということになる。

 着任して、最初に聞いた初任者の悩みは、「気になる子」への対応。御多分に漏れず、学校から発達障害と見なされた生徒を、それぞれのクラスが抱えていた。

 初任者の関心は、「この生徒をどうしたらよいか」に集中していた。

 私は、「この場合はこうする」というような対応で終わらせたくはなかった。場合はいくらでも考えられ、それへの対応も数限りなく出てくるだろうから。それよりも、学習集団としての関係づくりを目指した方が、教師としての成長を考えたとき、有効だと考えた。

 ある初任者には、「そうだよね、気になる子だよね。」という応答から入る。

私「〇〇さんに、質問しましたね。〇〇さんには、どうしてほしかったのですか?」

初「答えてほしかったのだけれど、もしかしたら無理かなとも感じた。」

私「〇〇さんが、『分からない』と答えたのは、どんなことを考えたからだと思う」

初「自分の答えに自信がなかったから、ではないかと思う。」

私「それで、生徒はどうしようとしただろう。」

初「周りに聞こうとしたが、バカにされるかもしれないという思いがあったようだ。」

 初任者は、省察に入ろうとしていたと思う。だから、「ヒントを出す」とか、「文章の〇〇に着目しなさい」という、その場しのぎの技法に向かわなかった。初任者は「自分の指導に自信がなかった」と続けた。自信がないのは当然だろうが、それが、一人の「気になる生徒」への対応で、さらに加速されたようだ。

 このあたりが1対1の指導―被指導の関係になる現状の初任研の弱いところだろう。そして、私の忍耐も低いせいなのか、つい、次の言葉になってします。

私「教師と生徒の縦の関係だけで、授業を作ろうとすると行き詰ってしまうね。」

 そして、教師が発問して生徒が答える一斉指導が「縦の関係」を強化しているかを語ってしまう。生徒の横の関係を作ることが重要であると訴える。

 結論として、集団の中での人間関係を変えることが望ましい。その関係を変化させるために、「気になる子」以上に、周囲の生徒を育て、集団を強くしていくことが重要だと言ってしまうのである。(初任者の自発的な学習へ到達できない……。)

 初任者は理解して、そのあとの実践で、生徒同士の関係を作る集団作りに動く。そして、その経験を通して腑に落としていく。その後、研究授業で「〇〇を手玉に取っていた」と先輩の先生から、感嘆の声をいただいたりするのだが、私としては、「誘導だな」と感じてしまう。(でも、まあ本人も納得して、身についたからいいかとは思うが……。)

 おそらく、初任者はこの質問は、この生徒には無理があるかもしれないな、という思いがあった。しかし、「教えられたとおりにしか教えられない」という無意識の、しかし強固な壁に突き当たる。生徒の個性を大事にしなければならない、という思いはあっても、それを指導の中で生かせず、自分が小学校一年生の時から高校3年生まで、もしかしたら、大学4年間も、合計で12~16年間、(共同)幻想を積み上げてきた、授業の概念を行使する。

 この、経験で積み上げられてきた授業に対する幻想は、大学の教職課程で払しょくされたように見えても、現場に立つと復活するものらしい。(他の先生がそのようにしているから?)

 現場の中堅クラスに、教師教育学の素養を備えた職員を配置するというは、重要なのだ。