初任研の授業検討会……課題にしたいこと→→初任研中学校国語の現場からの報告 その17

 前回は、初任研の成果らしきものをいくつか述べた。

 今回は、初任研の担当者以外が初任者の授業にコミットする場である、初任研の授業検討会について、雑感を述べたい。

 ある初任研の授業検討会では「所期の目標が達成されたかどうか」「研究の手立てにより有効に近づくためにはどうするか」などの2本立てで行われた。

 流れとしては、①本時の学習目標が達成されたかどうか→②達成されたとしたら何が要因だったか、達成されなかったとしたら、それを改善する方策はどのようなものがあるか、ということになるだろう。

 その話し合いでは、①の段階で、参加者それぞれの主観での目標の達成、未達成が語られた。②の段階では、それぞれの持つ技法や技術が公開されやり取りされていた。

 初任者の授業には、グループを何人組と固定せず(6人グループとか、4人グループとか、3人グループとかに固定しないで)、それぞれが出した関心別に人数にばらつきがあっても、そのままグループにする(この授業では、6人グループから3人グループまであった)という「提案」があったのだが、そこはスルーされた。

そして、グループから出された様々な意見を整理するために、次のような方策が提案された。①それぞれのグループが話し合いに入っている状態で、先生が見つけたいい意見を、学級全体に返す。「〇〇グループで、こんないい意見があったよ」②意見を整理するには、前もって生徒の反応を予想した方がよい。そのために指導案の生徒の反応の欄に「先生がもっと詳しく考えて」記述すべきだ。③話し合いをスムーズにするために、「先生が指示して」司会や記録などの役割分担をしっかりするべきだ。④生徒がタブレットばかり見ていたので、話し合いがなり立っていない(ように見えた)。タブレットをなしにして模造紙でよかったのでは、など。(実際はもう少し、出たのですが、とりあえず過去のノートにメモが残っているものだけ)

予想通りというか、教師のパフォーマンスをいかに上げるかに意見が偏っていたように思う。

初任者の意図に触れる前に、多少脱線するが、①~④に関して、コメントしたい。

まず、①について。初任者は35分という時間を指定して、生徒が話し合いに集中することを求めた。しかし、教師から見た「いい意見」を全体に返すことを繰り返していると、生徒は、「先生の発言」を待って考えを記述することにならないか。生徒の思考の深まりではなく、「先生の思考の深まり」を授業で行うことになる。また、思考の最中の声掛けは、思考の中断を招く。

「意見の整理」に関する②の見解は、教師が記述した方向に生徒の反応を持っていこうとするということが起きやすい。自分の経験からも、他の先生の指導案を見てきた感覚からもそう言える。特に、教えることの経験の少ない教師であればあるほどそうなりやすいように思える。

「グループ内での役割分担」については、どのように役割を与えても、話し合いが深まるためには、その場を仕切ることのできる生徒の活躍が欠かせない。仕切る生徒とフォローする生徒の関係が良好な時だけ効率的な話し合いができる。役割分担をすれば、話し合いが効率化するというのは誤解である。

最後の「タブレットの使用の是非」に関する④の見解は、あれかこれかの問題ではない。話し合いの結果や経過を示す手段は、教師が規制すべきではないということなのである。決して、こうしなければならないということではない。模造紙にまとめる手もある、もちろんタブレットを使う手もある。ホワイボード・ミーティングの手もある、バズセッションの手もある。生徒が選択できる手段を多数用意しておくということが必要であろう。タブレットも模造紙も使っても使わなくてもいいのである。

さて、では、初心者の意図に触れよう。

初任研の授業検討会の後、初任者が「前時での躓き」について相談してきた。

初任者は、本時での「グループ割りの失敗」を感じており、その要因を前時の躓きにあると感じていたようだ。

本時の授業の意図は、興味関心別にグループ編成することで、生徒に話しやすい雰囲気をつくっていくことにあったという。そこで、8人が集中したグループについて、強引に4人4人に分けたということである。

当初の考えであれば、8人のグループを割る際に、5人3人になっても、6人2人になってもよいように構えていればよかったのだが、4人4人に割ることに「先生が」こだわった結果、生徒の間に違和感が生まれたようだ。

初任者は、この要因を前時の躓きに求めた。前時では、教室を移動する際、「思いやりを持って、速やかに、静かに」移動するための作戦を立てさせから、移動させた。この際に、移動先で男女真っ二つに分かれて並んだという。

この感覚を残したまま、本時に臨んだためグループ分けの際の気まずさが出てきたのだという。

この初任者の認識はとても貴重なように思う。

初任者は、男女差を意識しすぎる「未成熟な集団」(なんと、3年生の学級でした)への働きかけのあり方に思いが至ったのである。

8人グループを4人4人に分けた際の、そしてその後の学習の進みについて、気づきを持ったのである。

このことは、前回述べた「リフレクション」の繰り返しにより生まれたものであるといえる。

技法的には、この時間にどうこうするを考えるより(生徒が学習に向かわない、向かえない状態ができているのだから、どのような技法も効果が生まれない)、前時の移動の段階で作戦を立てなおさせ、再度、挑戦させるということで対応できると思う。

しかし、その対応策以上に、集団の質を餘色よい状態に持っていくためにどうするかを考えている初任者に成長を感じた。