初任研中学校国語現場からの報告(その10)

昨年、初任研(1年目研)で授業研修を担当した先生が、今年2年目研(2年目は初任者が自力で研修を進めます)で、MLA理論に基づいた授業研修で授業を公開して、大学の先生からコンサルテーションを受けたとのこと。「MLAの観点から、素晴らしい授業だった。」と喜ばれたとの報告を受けました。昨年担当した私としてもうれしい思いでした。私に対する初任者からのお礼の言葉もあり、ありがたく感じました。それ以上に、私は、この先生の成長を強く感じました。

「MLA理論とは、日本版の包括的生徒指導モデルとのことです。次の4本の柱からなります。①個人の成長に焦点を当てたSEL(Social and Emotional Learning:対人関係能力育成)②PBIS(Positive Behavioral Interventions and Supports:ポジティブな行動介入と支援)③集団の成長に焦点を当てた協同学習 ④ピア・サポート

このMLA理論に基づく、学校づくりの研究は、数年前から地教委の事業として進めてきたものです。しかし、現場の先生方のこの事業に対する評判は、あまり芳しいものではありません。

 教育学の理論を現場の先生に、外部注入すれば、良い授業が成立するだろうという考え方で、MLA理論が導入されているため、この「新しい理論?」に対して(感情面で抵抗を示すという)「学校の影響力が支配的」となり、現場の実践に力が入らない状態になってきたと感じています。たとえば、形式的にPBIS的な掲示物を作る、とか、SELの授業をトーク&チョーク式の一問一答の授業でつくるとか……で、実践を済ます、というように。

 現場に教育理論を適応させるときに、教師教育学的な視点がないために、「理論と実践の乖離」を招くという状況になってしまっているのです。

 コルトハーヘン「教師教育学」に「人が変わらないようにする最善の方法は、その人を変えようと試みることです」(p.63)とありますが、まさに、その状態を示していたのだと思います。MLA理論は至極まっとうに、学校の環境を児童生徒が「安心・安全に」過ごし、学習に集中できる環境を提供するものだと思います。私は、とてもしっくりする考え方だなと思っていたので、この乖離を残念に思っていました。

 地教委はこの状況を改善しようとして、必死になって研修会(伝講会)を開いたりしていました。つまり、知識が増えれば改善するだろうという考え方です。外部注入をさらに強くしていったのです。効果はそれほど表れないだろうというのは、「教師教育学」の視点からも明らかかと思えました。

 だから、私は、教師教育学の考えを導入すれば、この状況は改善されるのはないかと考えています。

例えばSELの授業を組む時に、教師がそれまでの自分の授業を「省察する」機会を与えられていたら、授業の質はずいぶん変わるのではないかと思うのです。それは、集団の成長に焦点を当てた協働学習や児童・生徒同士の「ピア・サポート」、そしてPBISに大きな影響を与えたことでしょう。(何せ「ピア・サポート」は教師教育学の手法の一つですから。何よりも教員同士に施せると効果が絶大でしょう。)

 さて、前述した2年目教師は、MLA理論に基づいた実践を4つの面にわたって、事細かに実践したわけではありません。1年目にはMLA理論でいう「集団の成長に焦点を当てた協同学習」を一生懸命に組んでいただけなのでした。

 それは、初任者が実際の授業の中で気になる生徒への対応や、生徒が自主的に学習に取り組む工夫などを検討する中で出てきたものです。「その場しのぎ」の技法、「技術」に頼らず、本質的な問題は何かを探り、より適切な手段や理論を学ぶという、授業の「省察」を毎回繰り返した中から、つかんだものでした。

 いわば、「省察」による「らせん的な授業改善」によりつかんだものです。「省察」が、期せずして「集団の成長に焦点を当てた協同学習」を導いたのです。初任者の「省察」に基づく「らせん的な授業改善」がMLA理論と合致しただけなのです。

そこから、「見える化」するための、そして生徒集団の人間関係をより良いものにするPBISや、協働学習を支える「ピア・サポート」や、児童・成長の成長を促す基盤としてのSELにつながるのはそれほど難しいことではありません。

つまり、理論と実践がしっかり融合します。

 ですから、先生方の内発的な開発こそが、「新しい理論?」導入のかなめだと思うのです。それは、教師教育学の考え方が重要になってくると思うのです。

(MLA理論と、「省察」による教師の授業改善には、「一致の原則」があてはまりますよね。生徒が学習するよう指導することと、教師が生徒に学習させる方法を指導者が教師に学習させること。)