初任研中学校国語現場からの報告(その8)  意図と行為のギャップを埋める

 「教師のためのリフレクション・ワークブック」では、「子どもに対する人権感覚をベースとした対人支援職としての専門性」を振り返る方策として、次の3つを上げている。

①どのような思考・行動が必要であるかという知識や認識を深める学習

②学生同士のコミュニケーションや現場実践の中で、明確化・意識化する経験や、他者から認識・指摘されたりする経験

③教師教育者から具体的課題を出し、直面化させる機会

 ①によって、知識・理解としてのアクティブ・ラーニングの授業実践の必要性が理解できている。

しかし、②は、現行制度である1対1での初任研という制約上、望みようがない(条件が整えば(整っても)、年に1,2回はできるかもしれないが…)。また、他者からの指摘も、多くの学校の実情(私が担当している初任者の学校でも例に漏れないと感じている)では、教師のパフォーマンスをいかに高めるかという視点からの指摘になる可能性が高い。つまり、「行為の振り返り」から、「本質的な諸相の気づき」をスルーして、「行為の選択肢の拡大」へ直結する可能性が高い。

そこで、③が必要になるが、指導者がこの「直面化」を、(産業時代的に?)強引に突きつけることをしたら、初任者は「足をすくめる」状態になるだろうことは、容易に察しがつく。

そこで、意識したのが、以下のフレーズである。

「意図と行為のギャップを埋める」

初任者は、「生徒に学習を任せる」授業、『学び合い』の授業を企図していた。

しかし、実際の授業行為は、その意図とは大きなギャップを生じてしまう。

たとえば、「生徒に任せる」ことを企図した際に、生徒が教師の望む「より良い」方向へ行くように意図して、ヒントを与えすぎる、説明をし過ぎる、学習の途中で教師が生徒の学習に介入する、などの行為によって、生徒の思考を麻痺させる。学習活動をストップさせる、という状況になる。

あるいは、「生徒に任せる」ことを意図するあまり、どうすればゴールになるか、どうすれば、学習目標委に達した生徒が全体の利益のために動けるような環境を整えるかの備えをおろそかにしてしまう、などがあげられる。

上記の二つは、「意図」と「行為」のギャップといっていいだろう。

こうした授業を振り返る際、省察のための8つの質問は、大きな武器となった。

たとえば、初任者はYさんという生徒がいたとする。この生徒に、課題を解く方法を聞きに来る生徒が何人かいた。初任者から「Yさんが、『人に教え』ながら、動けるようになるともっと良いと思っているのだが、学習への集中と教えるための立ち歩きのバランスが分からない」という、行為の振り返りがあった。

指導者は、個の振り返りを聞いて、初任者の「意図」と「行為」の間にギャップがあるのだという認識に至った。

指導者は、当初、授業へのゲシュタルトの変換が、初任者の頭の中でなされていないため、アクティブ・ラーニング様の授業の「型」や工夫に関する助言が、「入っていかない(=肉体化できない)」のだと思っていた。

しかし、8つの質問に則って、リフレクションをしてみると、「意図」と「行為」のギャップに初任者が苦しんでいることが分かった。

授業の考え方の変換は、初任者が「発見した」、「生徒に任せる」「学習の邪魔をしない」という言葉に集約されるのだが、この「意図」を実現させるための行為の選択肢が、教師主導型の(古い)授業観の中にしかなかったのである。

Yさんのような生徒が動ける(ここは、まだ「授業の中で活躍する生徒は固定的なものだ」という認識から抜け切れてはいないが、国語という学習で能力を発揮している生徒とらえている、初任者の「強み」を活かすことにした。)目安を付けられるように、誰が課題を達成し、誰がまだ達成していないのかを「可視化」するネームプレートを使用する。これにより、Yさんが支援すべき生徒が明確になっていく。(これは、指導者の示範授業でも行っていたことなのだが、初任者は授業の文脈の中で理化することができなかったようだ。)

「学級の一人も見捨てない」という学級が国語の課題に取り組む目的を明確にし、「全員が課題を達成する」という行動目標を明確にする。これにより、学習課題に含まれる学習目標の達成を目指す。そして、これは学級全員で課題に取り組んでいるという「感情の共有化」につながる。Yさんが活躍できるような環境になるだろう。(これも、示範授業で示していることだが…)

学習目標と、課題達成するまでの時間を「見える化」(明示)し、学習への見通しをできるだけ多くの生徒が持てるようにする。もちろん、Yさんのような生徒は、いち早く気づくだろう。これも、Yさんのような生徒が動ける環境を作ることになる。

そして、「教えるために動く生徒」「SOSを出す生徒」「SOSを出すのを察知して動く生徒」「課題を達成した生徒とまだの生徒をつなぐために動く生徒」、それぞれが「全員が課題を達成する」という目標へ向けて「合理的な」動きをしているのだと、Yさんをはじめ学級全体を勇気づけること、などを助言した。

指導者の感覚としては、初任者に「入った」と感じさせる「振り返り」であった。