初任研 中学校現場からの報告 その6

 授業をしている中で、教材にしている印刷物の裏側を見ている生徒がいて、学習に集中していないようで心配になったが、声をかける機会を失って、働きかけはしなかった、という振り返りがあった。

 いくつかの可能性が考えられるが、初任者は「生徒の思考の流れを切ってはいけない」と考えたとのことだった。その場の対応では、その行動は不適切であることを指摘するだけで十分だと思うのだが、そうは考えなかったようだ。これは、以前、初任者との中で私が語った「生徒の思考の流れを切らない」授業ということが、強烈に頭に残った結果かも知れない。

 課題への集中的な取り組みのための手立てとして説明したことが、あらゆる場面で適応できるもののように伝わったことを謝った。

 その後、初心者との振り返りの中で、生徒がそのような行動から離れるいくつかの可能性を話した。

 一つ目は、生徒に渡す教材に印刷のやれ紙を使うことで、課題とは無関係の興味関心を引き出していること。だから、裏紙を使わなければよいのである。大きな原則につなげるなら、準備をしっかりすることである。

 二つ目は、そのこと自体がそれほど大きな問題かということ。一瞬そのような行為があったとして、その後学習に集中したのであれば、大きな問題とは言えないだろう。課題に集中していったという過程の方が大切である。

 三つ目は、生徒自身が裏紙を使うことに疑問を持ったのではないかということ。そんな行為であるならば、そこで咎めなかったのは、逆に幸いであろう。そんな生徒の頭の中を想像できずに、一瞬の行為のみで善悪を判断したのでは、生徒の方がいい迷惑になる可能性が高い。そして、これも授業の準備をしっかりすることにつながる。学習に参加する生徒一人一人を思い浮かべて準備できるかどうかであろう。

 四つ目は、その生徒と初任者との相性の問題があるかもしれないということだったが、これは深く突っ込まなかった。同様なことが、同じ生徒に対して認識するようであれば、触れなければならないかなと思うが。ただし、私のスタンスとしては、学習課題に取り組む集団を作っていく中で、生徒同士に関係を作り上げることで改善するものだと考えている。おそらく、初任者の方で問題を作っているのである。

 初任者は、完璧を目指すあまり、状況によって変化すべきところを教条的に墨守していくことがある。生徒が学習に集中するために何を準備していったらよいかとか、その準備を超えたハプニングが起きたとき、生徒の学習の進展へどう持っていくかとかを、マニュアル的でなく、教条的でなく導いていくのは意外に難しいことかもしれないと思った。