初任研現場からの報告 その1
宮城県の初任研の授業研修の担当としてかかわっている。
週に一回、初任者の学校に赴き、授業研修を行う。
どの学校でも、1コマは初任者の授業実践、1コマは初任者による(主に)指導教員の授業参観を行うことになっている。
第一日の授業研修では、次のようなことが起こる。
1コマ目(例えば2校時) 初任者の授業実践。
私は、なるべく逐語記録になるように、授業を記録する。
1コマ目終了後(例えば3校時) 初任者と授業の振り返り
私が、生徒の発言と教師の発言をノートに左右に分けて記録したものをもとに。
初任者は、自分の発言の多さに驚く。
※この過程では「自己モニタリング」を行ってもよいと思う。ボイスレコーダーで授業に授業を録音し、聞くとか。ビデオで授業を撮影して振り返るとか。
ボイスレコーダーの方法は、私が初任時代にした方法だ。当時は、初任研という制度はなく、指導教員もいなかったため、自分で授業を何とかしなければという思いがあった。そこで、カセットレコーダー(!)で、自分の授業を録音し、1時間近くの通勤の生き帰りに聞きまくった。恥ずかしくてたまらなかった。自分の欠点の傾向が大きく9つほど発見できた。
この後、「私の琴線に触れた先生」のグループワークを、他の先生にも入っていただいて実施した(他の先生の協力が得られない場合は、仕方ないので私と二人で行った。)。
どうも、今理想とする教員の姿が、過去に出合った先生に投影されるようだ。
この日は、生徒を主体的な学習に導く先生というのが、理想のようだった。
2コマ目(例えば4校時) 指導教員の示範授業。
目標を示し、生徒がその目標達成に向けて、学習を進める授業、つまり『学び合い』の授業を実際に行う。
生徒が主体的に学習に取り組む様子が、明確に示されるため、『学び合い』の授業は、最初の授業参観としては効果的だと思う。
4コマ目(例えば、5校時) 講義・演習と銘打った時間なのだが、私は、演習だと思ってやっている。
3コマ目の授業について、初任者に尋ねると、次のような内容が返ってきた。
(1) 初任者の授業は1から10まで説明していた。
しかし、指導教員の授業では、生徒は課題の文章を自分で読んで理解していた。分からない場合も、友達に聞いて理解していた。
(2) 助けあって生徒が学習を進めていた。
(3) 課題を解く際に、初任者は、例を出して説明したが、指導教官の授業では、例示は不要であった。生徒同士で説明する際に、初任者が(教材研究を通して)考えていたような例を、生徒が使っていた。
(4) 学習は、子どもたちの力で、カバーできるのだと感じた。
※この日の研修で、最も大きな気づきは、4の部分であろう。初任者は、生徒中心の授業を、言葉のうえだけでなく、実際の授業で感じ取ったといえる。
初任者の持つ授業に関するゲシュタルトに大きな打撃を与えることができたのだと思う。
そして、次の週の授業研修の際に。初任者は、先週目にした『学び合い』の授業に取り組んだ。
「一人も見捨てず」全員がクリアするための「見える化」の手続きを、初任者は、授業を成立させるための、大きな要素としてとらえなかったために、焦点の定まらない授業になってしまった。
しかし、指導教員は、なによりも、自己の現状を乗り越えようとチャレンジする初任者のチャレンジする姿勢に感動した。そのことを、まず初任者に伝えた。
※初任者研修は基本的に、初任者と指導教員の1対1の関係で行われる。
初任者は望むと望まないとに関わらず、家庭教師を付けられるようなものである。
私も、この関係の中で、私の中にある古い体質が、初任者を誘導してしまったりすることがあるかもしれないと思いつつ、関わっている。
そんな中で、少しでも勇気ある前進を試みたなという瞬間に出合った時はうれしいものである。