生徒のレポート例
生徒のレポート例を紹介します。
構成表では「5名」ということになっていましたが、これは校内の国語科で報告するためのものです。ここでは、3名分を紹介します。
3-1レポート例
「償う」の本当の意味
T生
1 質問の焦点
このレポートでは、「少年の日の思い出」の「僕は罪を償えなかった。」についての質問を解いていく。
2 選んだ質問とその理由
2-1 どんな心境で罪を犯してしまったのか?
理由は、罪を犯したときの心境を捉えたいから。
2-2 なぜ、その行動(「一つずつチョウを指で潰してしまった」)で償えると思ったのか?
「僕は罪を償えなかった」とあるが、具体的になぜチョウをつぶすことが償いになると思ったのか、疑問に思ったから。
2-3 どうして償えないと思ったのか?
「償い」がこの話の中でどう定義されているか、何をもってそう考えたのか、」気になるからである。
3 質問を解く
3-1 どんな心境で罪を犯してしまったのか。
まず、どんな心境で罪を犯したのか、についてだ。
「僕」が犯した罪はエーミールの標本を勝手に持ち出し、潰してしまったことだ。文章から読み取れるように、大きな満足感と逆らい難い欲望を感じていた。その後は自分を取り戻し、恥ずべきことをしたことに気づいたが、最終的に盗みを犯すときの心境は、罪悪感などの負の感情よりも、蝶を見ること、はたまたそれを手に入れることへの喜びの方が多いようにとれる。
つまり、「僕」は、罪を犯したとき、自分の欲望が満たされることへの喜びしか感じていなかったのではないかと分かる。人間の欲深さを伝えているようにも取れるシーンである。
3-2 なぜ、自分の蝶を潰すことで償いになると思ったのか。
次に、2の疑問を解き明かしていく。
文章中から取れる償いのシーンは、最後に「僕」が蝶の標本を指で押し潰すシーンだと、私は捉えた。
しかし、ここで疑問が生まれる。それが、「なぜ、それで償えると思ったのか」という疑問だ。
蝶を潰すことは今までの努力を踏みにじること、それはエーミールも同じだ。
しかし、それが罪の償いになり得るのだろうか?
「償う」とは、相手に与えた損害を金銭や労働で返すこと、と国語辞典に記されている。
「僕」の中では、どのようなことが「償い」にあたるのか? はたまた違うことで償おうとしたのか?
私の見解はこうだ。
一つ目は、自分も同じ苦しみを受けようとして蝶を潰した。
二つ目は、今までの思い出を忘れて、この活動から手を引こうとして蝶を潰した。
この二つが有力ではないかと考える。
どちらも子どもには辛いことだ。しかし、それほどの覚悟があるために、できたことだろう。
「僕」はどこかで、蝶への思いや感情を消し去ることが、せめてもの「償い」であると感じたのだろう。よって、「僕」の中の「償い」は蝶を潰したことであると、私は捉えた。
3-3 どうして償えないと思ったのか?
さて、これで二つの問は解くことができた。最後に本題の3に入ろう。
「どうして償えないと思ったのか?」それが私にとって一番の疑問である。
物語は、蝶を潰しているところで終わってしまった。のちの展開は、自分で想像するしかない。私だったら泣き叫んでしまうかもしれない。だってそれほど罪を自覚しているから。
人が大事にしていたものをとってしまい、挙句の果てに潰し、エーミールまでも傷つけてしまった。その罪の重さは計り知れないだろう。
たとえ許してもらっても、罪を犯したそのときに、もう償えないものだと、必然的に「僕」は感じていたかもしれない。「一度犯した罪はもう償えないものだと悟った。」この言葉を作者は伝えたかったのかもしれない。
4 考察
この物語は作り話とは思えないほどに現実味のある話だった。一人称の「僕」は、自分の過ちを語って、未来の私達へと教訓を伝えてくれるヘルマン・ヘッセだったのかもしれない。
令和3年1月20日
罪を償うことができなかった「僕」の少年の日の思い出
I生
1 選んだ質問とその理由
「そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」
エーミールのこの言葉に、私は少しだけゾッとしました。
たくさんの伏線が描かれている「少年の日の思い出」。私は「僕」の気持ちを知り、最終的にどんな結末になったのかを考えるために
1-1 チョウを指で粉々に押し潰してしまったときの「僕」の気持ち
1-2 「僕」が一度起きたことは、もう償いのできないことだと悟った理由
1-3 物語のクライマックスと始まりの関係性
この3つの問題について考えていきたいと思います。
2 質問を解く
2-1 チョウを粉々に押し潰してしまったときの「僕」の気持ち
まず、一つ目の問題。「チョウを粉々に押し潰してしまったときの『僕』の気持ち」ということについて考えていきたいと思います。
単純に「くやしい」と思ったのではないか、と私は考えました。
そう考えた理由を説明します。
一つは、「僕はすんでのところであいつの喉笛に飛びかかるところだった」というところから、「そのとき初めて僕は、一度起きたことはもう償いのできないものだということを悟った。僕は立ち去った。」というところまでの気持ちを考えていけば分かります。
「喉笛に飛びかかる」つまり殴りかかりそうなくらいに腹がたっているということだと思いました。悔しくてたまらない、という気持ちとどうしようもない気持ちが爆発した結果だ、そう解釈しています。
そのあと、「一度起きたことは、もう償いのできないものだ」ということを悟ります。
2-2 「僕」が一度起きたことは、もう償いのできないことだと悟った理由
そこで、二つ目の問題「僕」が一度起きたことは、もう償いのできないことだと悟った理由」について考えていきます。
「僕」が一度起こったことはもう償いのできないことだと悟ったのは、エーミールの態度を見てだと思います。
「エーミールはまるで世界のおきてを代表でもするかのように、冷然と、正義を盾に、侮るように、僕の前に立っていた。」
この文からわかるように、エーミールは静かに僕のことを軽蔑しています。自分は悪漢だ、ということをさらに実感させられるような態度に見えます。
つまり、僕はこのエーミールの態度を見て、「謝っても、何をしてももう遅い。」ということを思ったのだと、私は考えます。
2-3 物語のクライマックスと始まりの関係性
最後に3つ目の問題「物語のクライマックスと始まりの関係性」について考えていきたいと思います。
「僕」は罪を償うことができなかったうえに、自分の集めたチョウを指で粉々に押し潰してしまいます。
そこで、物語は終わりますが、「少年の日の思い出」は、「結―起承転」という構成なので、始まりが終わりということになります。
物語の始まりは夕方、そしてここで出てくる色は全て暗い色。これは、「僕は罪を償うことができなかった」ことの伏線の一つで、罪を償うことができずに、大人になってしまった「僕」の心の中を表しているのではないか、と私は考えました。
つまり、この問題はの答えは、「クライマックスの答えが始まり」ということになると思います。
3 考察
たくさんの伏線が隠されていて、読む人によって考え方が変わる「少年の日の思い出」という物語は、とてもおもしろいなと思います。
最後のを読んだときのモヤモヤもふくめて、こういう物語の書き方もあるんだな、ということもわかりました。
全ての伏線を、拾うことはできませんでしたが、私の思う「こうだ!」ということは書けたと思います。
そして、私は「僕」のようにはなりたくない、そうならないようにしようと心からそう思いました。
令和3年1月21日
「僕」がエーミールに犯してしまった罪とは
K生
Ⅰ 選んだ問題
1 チョウをつぶしたことが償いにならないのなら、他にどんな償いがあるのか。
2 エーミールはなぜ怒鳴らなかったのか。
3 罪を償うこと自分のチョウを潰すことにどんな関係性があったのか。
Ⅱ 選んだ理由
どの答えも教科書には載っていないし、物語の読み取り方は、人それぞれでいいと思います。そして、自分の中での正解を見つけるのも、物語の楽しみ方だと私は思いました。
だから、人とは答えの違う問題を選んで、共有すれば、もっと考え方や感じ方が深まるのではないか、と私は考えたので、自分自身のためにもこの3つの問題を選びました。
Ⅲ 問題を解く
1 チョウをつぶしたことが償いにならないのなら、他にどんな償いがあるのか。
そもそも償うことはもうできないのではないか。と私は思います。
例えば、「僕」がクジャクヤママユを捕まえて完璧な状態でエーミールに渡せばよい、と考える人もいるかもしれません。
ですが、その種類のチョウは何匹いたとしても、同じ人間がいないように、チョウもすべてが同じチョウがいるはずはありません。エーミールが大切にしていたチョウは二度とは戻ってきません。
したがって、罪を完璧に償うことは決してできないのだと考えます。
2 エーミールはなぜ怒鳴らなかったのか。
それはもう「怒り」通り越して、「あきれた」という感情に変わったからではないか、と私は思います。
例を挙げるとすれば、何度注意しても静かにしない人には、もうあきれてしまい、何も言わないのと同じで、エーミールも「あっ、こいつに何を言ってもだめだ。」と思ったのでしょう。
つまり、「怒り」ではない「あきれ」という感情に変わって、怒鳴る気力も失せ、ただ一言、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだ。」とだけ言ったのだと思います。
3 罪を償うこと自分のチョウを潰すことにどんな関係性があったのか。
これは、本当に私の勝手な想像ですが、僕は「罪を犯してしまった奴には、もうチョウ集めをする資格はない。」と考えた結果、未練を残さぬように、自分の大好きなチョウも心を鬼にして潰したのではないでしょうか。
相手(エーミール)に悲しい思いをさせたなら、自分(僕)も同じ思いをしなければならない。つまり、僕が一番悲しい思いをするのは、チョウ集めをやめること。だから、僕はチョウを潰したのだと私は考えます。
Ⅳ 考察
私は、この物語を読んで、人の心、人の言葉が一番怖い、と感じました。
この物語にもあるように、「僕」は自分の心の中の声に逆らえずに盗みという罪を犯してしまいます。そして、その罪を償おうと、エーミールの家に向かうと、人の言葉、つまりエーミールの言葉で傷ついてしまいます。
このように、傷つけあう人は怖いなぁ、という印象を受けました。
もちろん、人の心、人の言葉が、良い方向に向くこともあります。
そんな、人の心、人の言葉のもどかしさが、鮮やかに表現されている「少年の日の思い出」はすごく自分の胸にグッときました。