アクティブ・ラーニング日記45
学校で思いついたときに書いて、先生方に見ていただいています。最近のものを紹介します。
アクティブ・ラーニング日記45 2017.1.10 三浦二三夫 発
メンタル・モデル
前号の「推論のはしご」「探求」は私たちに重要な示唆を与えてくれます。メンタル・モデルという考え方です。
「学習する学校」から引用します。
「こうしたメンタル・モデルは、きちんと検証されて表面に出されることがないため、子どもたちの悲劇につながることさえある。ある統計によれば、いじめは生涯に渡って続く性癖で、教員から「いじめっ子」と見なされた中学生は、69%の確率で大人になっても軽犯罪の履歴を持つことになるという。しかし、それは教員や管理職員が、『その子はいじめっ子だ』というメンタル・モデルをもち、その前提の基に接したからではないか。あるいは、その子は『いじめは問題解決に極めて効果的だ』というメンタル・モデルを持ち、この思い込みに対し、安全な形で、説得力ある反対議論を仕掛けて指導するメンター(相談相手、助言者、指導者)を持たなかったのが原因ではないか。
メンタル・モデルへの対処の実践は、『私たちの目には、視界を遮るガラス板のようなものがある』ことを知ることを助け、もっと役に立つ新しいメンタル・モデルを生み出すことによって、そのガラス板の形を作り変えるのを助けてくれる。この実践の肝となる二つのスキルがある。それは『振り返り(リフレクション)(思考プロセスのテンポを遅くして、どんな風にメンタル・モデルを作るかに自覚的に気づくこと)』と『探求(インタワイアリ)(自分の見方を他の人とオープンに共有し、お互いの前提についての知識を高め合う対話をすること)』である。」
さらに、教員は保護者が生徒の教育を妨げる最大の要因だというメンタル・モデルを持ちやすく、保護者の方は学校は自分たちの意見を受け入れてくれないといメンタル・モデルを持ちやすいと言います。
このメンタル・モデルのすり合わせなしの状態でいれば、保護者と学校の間に何らかのトラブルが生じてくるのは当然だと思います。
私は、コミュニティ・スクールの実践にとても賛同しているのですが、生徒、教員そして保護者のコミュニティ・スクールへのメンタル・モデルのすり合わせなしに進めてしまうと、近い将来、形骸化していくのではないかと思っています。
すり合わせをどうするかのアイディアはあります。これは学年始の保護者会に対するアイディアと似ています。
1 なるべく多くのコミュニティ・スクールの関係者に一堂に会してもらう。
2 いくつかのグループ(5,6人ぐらいの話しやすいグループが良いかも)に分かれ、コミュニティ・スクールへのイメージを話し合い、いくつかの条項にまとめる。(保護者のメンタル・モデル、地域の人々のメンタル・モデル)
3 前もって、アンケートや学級会などでまとめていた生徒が持つコミュニティ・スクールへの期待を、講堂のステージなどにドーンと発表する。(生徒のメンタル・モデル)
4 これに並べて校長のコミュニティ・スクールに対する方針や、教員の期待などを発表する。(校長の見解と教師のイメージが一致していると理想ですが。)(校長や教員のメンタル・モデル)
5 3つのメンタル・モデルの違いから導き出される課題をまとめる。
1回目のセッションはこんな程度でしょう。長い間培われたそれぞれのメンタル・モデルが一朝一夕で変化するはずがありません。しかし、このセッションで少なくとも課題は浮かび上がるでしょう。
1回目のセッションを無難にこなそうと思ってはいけないと思います。もしかしたら、ここで出された課題をともに乗り越えることでより理想的なコミュニティ、つまり「学習するコミュニティ」に生まれ変わるかもしれないからです。
また、1回目のセッションで、課題ごとのプロジェクト・チームの結成になるかもしれません。そうすれば、より有効な小集団での話し合いが行われることでしょう。
また、あるグループでは生徒の参加の必要性が語られるかもしれません。
これは、もしかしたら生徒がより主体的に学習するための起爆剤になるかもしれません。生徒が地域に関わることで「生徒の力で地域を変えることができる」ことを時間できる場になるかもしれないからです。(この時に、大人が用意した路線で生徒が地域に関わるということは避けた方がよいかもしれません。生徒のアイディアが生かされる、という方向で持っていかなくてはならないと思います。「やらされ感」が残るか、自分たちで「やった感」が残るか、の違いだからです。これはそれ以降の主体的な学習の成立、ひいては生涯学習につながるからです。)
もちろん、地域や保護者の中にはより積極的に学校と関わりたいと思っている方がたくさんいらっしゃいますから、その力を発揮することもできるでしょう。
こうしたことを進める上で、基本となるのがメンタル・モデルのすり合わせでょう。
それは、前号の「推論のはしご」と「探求」が大きな武器になるはずです。
こうした実践の中で、メンタル・モデルのすり合わせが、コミュニティ・スクールに対する新たな、そして前向きのメンタル・モデルを作り上げていけるといいなと思います。
こうしたセッションを繰り返し、コミュニティを巻き込んだコミュニティ・スクールのメンタル・モデルと実践を作り上げていくのです。
妄想が広がってしまいました。
しかし、保護者会でもコミュニティ・スクールでも、学校に対して学校に関わるそれぞれが違ったメンタル・モデルを持っているということを自覚しておくことは、重要なことだと思います。
それは不要な衝突を少なくし、モンスターと呼ばれる人まで人材へ変えることができる可能性を持っています。
しかし、メンタル・モデルのすり合わせの視点を持っていないと、次第に話し合いは形骸化し、教員は地域からの要求が多すぎると感じるようになり、保護者はコミュニティ・スクールになっても何も変わらないと思うようになり、地域の人は学校に期待することは何もないと感じるようになるでしょう。そして、学校というシステムの中心にいる生徒は、地域や学校に魅力を感じなくなり、コミュニティから逃げていくことになります。
目先の形式をつくることにこだわらず、時間がかかっても、コミュニティ・スクールに対する、前向きなメンタル・モデルを作り上げる方向に、学校全体(生徒、教員、保護者)が動き出すことが大切なのだと思います。
たくさんの人々を束ねるのですから、時間がかかるのは当然です。しかし、これを小手先や、目先の改革や改善でごまかすと、急ぐために車間距離を詰めて、渋滞を引き起こすことになりかねません。